みなさん今日は!岡田智則です。12月に入り、一気に寒くなりましたね。
今日は少し歴史巡りをしたいと思います。
冬の大阪ということで、戦国時代末期(江戸時代初期)、徳川家と豊臣家の戦い「大阪の陣」を辿って行きます。
こんな人におすすめ!!
- 歴史ファンのあなたへ!
- 大阪のことについて知りたい方!
- 大阪のブラ歩きをしたいと考えている方!
蒲生・今福の戦い!古戦場跡
大阪市城東区にある三郷橋稲荷神社のすぐ横に、古戦場跡を記されたの石碑を発見しました。
ここ城東区は、1614年にあった「大坂冬の陣」の激戦区だったそうです。
ゴミ捨て場用の網がかかっているような気がしますが、それはまず置いといて・・・。
徳川方の佐竹義宣と上杉景勝らの軍と、豊臣方の矢野正倫と飯田家貞らの軍が、ここ今福の地で激戦を繰り広げました。
ちなみにここは、古墳時代から奈良時代のもとされる「丸木舟」が出土されたそうです!
佐竹義宣本陣跡
三郷橋稲荷神社から10分ぐらい歩いたところに、「佐竹義宣本陣跡」と書かれた石碑がありました。
場所は、「地下鉄蒲生四丁目駅」と「JR鴫野駅」の間ぐらいにある神社「若宮八幡大神宮」です。
徳川方の「佐竹義宣」がこの辺りに陣を構え、ここで必勝祈願をしたそうです。
上杉景勝本陣跡
若宮八幡大神宮からJR鴫野駅に向かって15分ぐらい歩くと「八劔神社」にたどり着きました。ここも今福の戦いゆかりの場所ということで、中に入ってみます。
中に入ってみると、「上杉景勝本陣之地」と書かれた石碑を見つけました。
ここ鴫野駅周辺は、大阪冬の陣で豊臣方の井上頼次が守備した砦に上杉景勝が攻撃し、激戦となったそうです。
大阪市城東区は、大坂冬の陣で本当に戦いが激しい場所だったんですね。
真田丸跡
八劔神社から自転車で20分ぐらい行ったところに、皆さんご存知の真田幸村が築いた「真田丸跡地」とされる場所を発見しました。
「地下鉄玉造駅」の近くにある「心眼寺」です。
中に入るとお墓がありました。石には「真田左衛門佐豊臣信繁之墓」と書かれています。
真田幸村とその子、大助の供養の為に作られたそうです。
心眼寺を出てすぐ向かいに、真田丸があったとされる場所がありました。現在は、学校のグラウンドになっています。
大坂冬の陣で真田幸村は、ここに真田丸を築き、徳川軍と激戦を繰り広げたみたいですね。
茶臼山
最後は天王寺にある「茶臼山」です。
大坂冬の陣では徳川家康、夏の陣では真田幸村の本陣として、「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台として知られています。
真田幸村は、決死の覚悟で徳川軍へ攻め込みましたが、後一歩のところで敗れ、安居神社で戦いの休息をしていたところ、敵兵に槍で突かれ討ち死にしました。
大阪全体が激戦となった「大坂の陣」
今回は、大坂の陣を巡って、大阪市内の古戦場跡を巡りました。
城東区、玉造、そして天王寺と巡り、大阪全体が激戦の地となったことが分かります。多くの犠牲の上で、私たちは平和な世の中で過ごすことができていると感じました。
大阪市以外に、柏原市にも古戦場跡があるみたいです。
興味のある方は、ぜひ大坂全体を見渡す感覚で、大坂の陣巡りをしてみてください。
アクセス情報
三郷橋稲荷神社
- 大阪市城東区今福西1丁目14−10
- 蒲生四丁目駅から徒歩約6分
若宮八幡大神宮
- 大阪市城東区蒲生4丁目3−16
- 蒲生四丁目駅から徒歩約9分
八劔神社
- 大阪市城東区鴫野東3-31-8
- JR鴫野駅から徒歩約10分
心眼寺
- 大阪府大阪市天王寺区餌差町2-22
- 地下鉄玉造駅から徒歩約10分
茶臼山
- 大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-108
- 地下鉄御堂筋線・JR環状線天王寺駅より徒歩5分
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