【大阪市】大阪市に残る戦争の傷跡

大阪の旅

こんにちは。岡田智則です。今日は、少しディープな話題です。

皆さんは、12月8日は何の日かご存知ですか?

その日は太平洋戦争が始まった日です 。1941年の今日、日本海軍がハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカとの戦争が始まりました。

太平洋戦争の傷跡は、全国各地それぞれに存在しますが、今日は大阪市に残る戦争の傷跡を巡っていきたいと思います。

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京橋大空襲

京橋駅フロンズ像

写真は、京橋駅にあるブロンズ像です。「平和よ永遠なれ」、そんな願いを込められて、1984年ここ京橋駅に作られました。

京橋大空襲は、1945年8月14日に、大阪城の敷地内にあった大阪陸軍造兵廠をターゲットに行われた空襲です。終戦の前日まで大阪では空襲があったんですね・・・。

フロンズ像横
京橋大空襲について

この空襲で、500人~600人の方が亡くなったと言われています。「もう1日戦争が早く終わっていれば犠牲が出なくて済んだのに・・」と終戦の日、現地の多くの方が思われたそうです。

大阪城に残る傷跡

旧第四師団司令部庁舎

戦時中、大阪上には陸軍の司令部がありました。現在その建物は、お土産屋さんなどが入り、観光の商業施設として残っています。

この陸軍司令部をターゲットに、大阪では8回にもわたる大規模な空襲がありました。大阪大空襲とは、その無差別爆撃の総称のことを言います。

城南射撃場跡

大阪城の南側には、明治維新後に陸軍によって設置された実弾射撃の訓練場がありました。

戦時中は、歩兵部隊の実射射撃訓練にあてられていましたが、戦局が厳しくなったことを理由に昭和43年に撤去され、訓練に使われていた武器も実践に用いられたとのことです。

天守閣空襲跡

8月14日の空襲の際、アメリカが落とした1トン爆弾は大阪城の天守閣に命中しました。その跡が、現在も残されています。

石垣がずれた様子と、爆弾から出たオイルの跡が見られます。

こんなに大きな石垣が崩れるほどの空襲は本当に凄まじいものだったんだと感じます。

動物までもが戦争の犠牲に

リタとロイド

これは、チンパンジーのリタとロイドの銅像で、天王寺動物園で見ることができます。

リタは、花嫁のロイドとともに軍服を着せられ、さらにはタバコまで吸わせ、戦争高揚のために利用されました。

リタとロイドの説明

リタは、ロイドとの子供を妊娠していましたが、戦時中の食糧難で栄養失調になり、お腹の赤ちゃんを死産し、その翌日リタもなくなりました。

まずは、事実を知ることが大切!

大阪城

今回は、大阪市に残る戦争の傷跡を巡って行きました。

私は広島出身で、広島で起きた戦争の悲惨さしか知りませんでした。しかし、今回の取材を通して、ここでは多くの空襲があり、その傷跡を目の当たりにすることで大阪の歴史を知ることができました。

当時の悲惨な状況を繰り返さないためにも、まずはその地域を巡って実際に何があったのかを知ることが重要と感じました。

アクセス情報

京橋大空襲フロンズ像

  • 大阪市城東区新喜多1丁目 2番31号
  • JR京橋駅南口すぐ

大阪城

大阪城天守閣
大阪城天守閣は、豊臣時代・徳川時代に続く3代目のもので、昭和6年(1931)市民の寄付金によって復興されました。現在まで90年以上の歴史を刻み、国の登録文化財にも指定されています。
  • 大阪市中央区大阪城1−1
  • 大阪メトロ「森ノ宮駅」1番出口、3-B番出口 徒歩10分程度

天王寺動物園

地方独立行政法人天王寺動物園
目指すものは「ひとにも動物にもやさしい」動物園
  • 大阪市天王寺区茶臼山町1−108
  • 大阪メトロ「動物園前駅」1号出口より徒歩5分〜10分
  • 開演時間 9:30~17:00  5・9月の土日祝日は~18:00
  • 休園日 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月1日)

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