こんにちは。岡田智則です。
みなさんは京都といえば何を思い浮かべますか?清水寺や貴船神社、比叡山など多くの観光スポットが満載で、歴史があり、雅で華やかな都市というイメージを持っている方も多いと思います。
しかし、平安時代や室町時代、幕末は大変な戦が何年も続き、京都が都市として本当に栄えてきたのは明治時代以降のことなんです。
今回は、京都の街中で実際にあった戦、源平合戦の「平治の乱」を巡ってみたいと思います。
こんな人にオススメ
- 京都の歴史に興味がある方
- 京都巡りを考えている方
- 歴史が好きな方
平治の乱勃発の場所!三条東殿跡
平治の乱は、平安時代の貴族邸であった「三条殿」の襲撃から始まったされています。
その跡が、京都地下鉄烏丸線の「烏丸御池駅」の近くに残っています。
この戦は、1160年1月19日に院近臣らのもめ事によって起こり、平清盛率いる平家と源頼朝の父である源義朝率いる源氏が京都の中心地で戦いました。
六波羅合戦
この頃、熊野詣で紀伊国にいた平清盛は京都の異変に気づき、京都へ出陣します。
京阪電車「清水五条駅」近くにある六波羅蜜寺に布陣し、ここに源氏をおびき寄せる作戦を立て、嫡男の平森重と弟の平頼盛に出陣させました。
現在は、弁財天を祀り、金運・財運のご利益があるそうです。
六条河原の戦い
三条殿焼き討ちにより最初は勢いがあった源氏ですが、味方の裏切りが相次いだことと、平清盛による巧妙な戦略によって、徐々に劣勢になっていきました。
源氏率いる源義朝は、決死の覚悟で清盛が布陣する六波羅に迫りますが、ここ鴨川で大敗しました。この戦いを六条河原の戦いといいます。
その古戦場跡が、義経と弁慶が出会ったとされる五条大橋の近くに残っています。
義朝は平氏軍と頼政軍の攻撃を受けながらもなんとか戦場を脱出が、現在の愛知県あたりで捕まり処刑されてしましました。
京都の中心を流れる鴨川ですが、平治の乱後は刑場として使われていました。関ヶ原で有名な石田三成もここで亡くなっています。
多くの戦があった古都
今回は、平治の乱を巡りました。
現在は多くの観光客で賑わう京都ですが、昔は大変な戦がたくさん勃発したり、多くの人が刑場して使われるなど、今では考えられない一面があったようです。
平治の乱の後、京都では応仁の乱や山崎の戦い、鳥羽伏見の戦いと大きな戦が次々に起こります。1つずつ古戦場を巡っていきたいと思いますのでお楽しみに!
アクセス情報
三条東殿跡
- 京都府京都市中京区場之町586
- 地下鉄烏丸線「烏丸御池」徒歩5分程度
六波羅蜜寺
- 京都府東山区五条通 大和大路上ル東
- 京阪電車「清水五条駅」徒歩10分程度
六条河原の戦い跡
- 京都府京都市下京区都市町143−20
- 京阪電車「清水五条駅」徒歩15分程度
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