こんにちは!岡田智則です。
皆さんは、「奈良」っていうと何を想像しますか?
飛鳥?古墳?大仏?聖徳太子?
今回は、奈良の歴史において最も有名な人「聖武天皇」巡りをしていきたいと思います。
こんな人にオススメ
- 奈良観光を考えている方
- 歴史が好きな方
- 古墳や大仏など文化遺産がお好きな方
奈良の都平城京
平城京は西暦710年、元明天皇が政治を行う中心地として作られた都です。平城京を中心とした74年間を、奈良時代と呼ばれています。
現在もその跡は残っており、近鉄電車で「大和西大寺駅」〜「新大宮駅」を通過する際、電車の窓から見ることができます。
聖武天皇は724年に即位し、しばらくの間はここで政治を行っていましたが、天然痘の流行や大宰府での藤原広嗣の乱をきっかけに、「恭仁京(京都府木津川市)」「紫香楽宮(滋賀県甲賀市)」「難波京(大阪府大阪市)」と関西各地転々と都を移して政治を行いました。
そして、745年にまた平城京に戻ってくると、あの有名な大仏の鋳造を開始します。
奈良の大仏
東大寺の正式名所は「金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)」と言います。
先述した通り、聖武天皇が即位してからは地震や天然痘の流行や戦などの災難が重なりました。平和で秩序ある世界を形成することを願い、奈良の有名な大仏は作られていったのです。
大仏の正式名所は「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」と言います。
大きな大仏を作ることは、聖武天皇一人の力ではできないため、僧侶の「行基」の力を借りて行われました。その労働力は260万人以上とも言われています。
いつみてもその大きさに圧倒されます。
東大寺転害門
ここは、東大寺の北西にある「転害門」です。
奈良時代に作られた東大寺ですが、1180年にあった焼き討ちや、1567年の松永久秀と三好三人衆との戦いなどで、何度も焼失しております。
その中で唯一焼け残って、当時の形のまま残っているのが「転害門」です。
東大寺にある他の門や大仏殿は、既に一度建て替えられているものなので、天平文化の象徴として非常な貴重なものです。
聖武天皇・光明皇后陵
人々の平和を願ってあらゆる政治を行ってきた聖武天皇は、756年に亡くなりました。そのお墓(古墳)は、東大寺転害門から西に5分ぐらい歩いたところにあります。
そのすぐ横には、聖武天皇の皇后であられた光明皇后の古墳もあります。
正倉院
光明皇后は、聖武天皇が亡くなられた年に彼の遺品を東大寺に献納しました。これが正倉院宝物の始まりと言われているそうです。
天平文化における重要な文化遺産が収められています。
毎年秋に、保存されている宝物の点検が行われ、その時期に合わせて、奈良国立博物館では「正倉院展」の展示が開催されます。
多くの文化遺産が存在する古都「奈良」
今回は、聖武天皇を巡っていきました。
国づくりを行っていくために多くの苦労があったことを感じました。当時作られた文化遺産が今もなお残っていることが本当にすごいことです。
皆さんもぜひ、一度訪れてみてください!!
アクセス情報
平城京
- 奈良県奈良市二条大路南3丁目5−番1号
- 近鉄大和西大寺駅南口から徒歩20分
東大寺
- 奈良市雑司町406-1
- JR奈良駅、近鉄奈良駅 市内循環バス7分「大仏殿・春日大社前」下車徒歩5分
- 大仏殿拝観料600円
- 大仏殿拝観時間 4~10月7:30~17:30 11~3月8:00~17:00
東大寺転害門
- 奈良県奈良市雑司町406−1
- JR・近鉄奈良駅からバスで7分(青山住宅又は州見台八丁目行き)手貝町から徒歩ですぐ
聖武天皇・光明皇后陵
- 奈良県奈良市法蓮町1224
- JR奈良駅、近鉄奈良駅から 近鉄大和西大寺行バス「法蓮仲町」下車、徒歩4分
正倉院
- 奈良県奈良市雑司町129
- 近鉄奈良駅から徒歩約25分
- 公開実施日 月曜日から金曜日まで(休日等を除く)の毎日,午前10時から午後3時まで
- 公開を実施しない日 土曜日・日曜日・国民の祝日・休日 12月28日から翌年1月4日まで
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