【音楽史対策】古典派の音楽について

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こんにちは。岡田智則です。

今回は古典派の音楽について解説していきます。

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古典派とは

西洋音楽における古典派の時代は1750年から1809年までの約60年間とされています。

古典派の音楽に代表されてる作曲家は、「ハイドン」「モーツァルト」「ベートーベン」です。まずは、この3人のフルネーム、生年と没年、ニックネームを必ず覚えてください。←必ず暗記

  • ヨーゼフ・ハイドン 1732年〜1809年 交響曲の父
  • ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756年〜1791年 神童
  • ルードビヒ・バン・ベートーベン 1770年〜1826年 楽聖

古典派時代は、1789年に起こったフランス革命によって、それまでの王族・貴族を中心とした絶対主義体制がゆるぎ、人間の考え方に大きな変化が生まれてきました。

科学の発達や思想の変化に従って、絶対主義に疑問を持ち始め、人々の心のよりどころは、神や神への信仰から人間の理性へと変わっていきました。これを啓蒙思想と言います。←必ず暗記

この社会体制により、作曲家も王族や貴族から自立していくようになり、個人の精神性をコンセプトに作曲をするようになっていきます。

ハイドンやモーツァルトが活動していた頃、ハプスブルグ家はオーストリアを拠点に、ボヘミア、ハンガリー、ナポリなどを勢力下に治めていました。その領域内は、宗教や言語などは不統一であったが、ハプスブルグ家はその各民族の自立性を認め、その結果国際社会が形成されました。←必ず暗記

そのため、ハイドンやモーツァルトの音楽も民族性を有しない国際的な音楽でした。この様式をウィーン古典派といいます。←必ず暗記

同時期、フランスのラモーは、歌劇『カールスとポリュックス』の初演を通じて、「和声論」を発表し、機能和声の基礎を確立。また、ウィーンのフックスグラドゥス・アド・パロナッスムと題された理論書の執筆によって対位法を確立させました。

前古典主義

18世紀前半ごろの、古典派の幕開けに先立ってバッロク時代から古典派へを過渡的な時期があり、その頃の音楽を前古典主義と言います。←必ず暗記

全古典主義は主に、マンハイム楽派ベルリン楽派の2つの楽派を中心に展開されていきます。

マンハイム楽派はファルツァル選帝侯領の首都、マンハイムを中心に活躍した楽派で、代表的な作曲家にヨハン・シュターミッツミヒャエル・ハイドンがいます。←必ず暗記

ベルリン楽派は、プロイセン王国の首都ベルリンを中心に活躍した音楽家達の総称で、代表的な作曲家に、クヴァンツカール・フリップ・エマヌエル・バッハがいます。←必ず暗記

ブフォン論争とグルック

1752年にパリで、ペルゴレージ作曲の『奥様になった女中』がイタリア歌劇団によって上演されました。この歌劇の市民性が当時宮廷オペラに反発していた人々に歓迎され、フランス音楽とイタリア音楽の優劣を論じる、いわゆるブフォン論争が展開されました。

この論争は、当時フランスでは新しい音楽を築いていくことに行き詰まっており、この状況を打開するための論争だったとも言えます。ルソーは、「フランス音楽に関する書簡」を発表し、フランス語は言葉として歌劇に不向きであると主張していました。

一方同時期に、オーストリアではグルックがオペラの改革を進めていました。

グルック

今までの歌劇は、歌手の技巧を誇示することにこだわっており、劇音楽としての性質を失っていました。

そこでグルックは、台本の言葉を生かし、それにふさわしい音楽をつけていくことを考えます。そのため、序曲を歌劇全体と結びつけるような音楽に作曲し、レチタティーボとアリアの差を無くして全体が劇の進行となるようにオペラを変えていきました。←必ず暗記

1774年、パリでフランス風に作った『アウリスのイフィゲニア』の発表により、イタリア歌劇支持者に刺激を与え、どの国家性や民族性の生活感情に合致する国際性が歌劇にもたらされるようになっていきました。

古典派時代の器楽の発展

1709年、イタリアのクリストフォリによってピアノが発明されたことをきっかけに、チェンバロ時代に多様された組曲が姿を消し、ソナタや協奏曲が盛んに作られた。←必ず暗記

この面では、ドメニコ・スカルラッティ2部構成の1楽章のソナタを多く作曲、それに続くエマヌエル・バッハ2部構成のソナタから展開部を独立され、3部構成のソナタを作曲しました。←必ず暗記

エマヌエル・バッハを中心とするベルリン楽派は、フリードリヒ王大に捧げられた古楽器による器楽合奏を数多く作曲しました。この音楽を、ムジカ・レセルヴィータと言います。

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ

また、エマヌエル・バッハは、クラビーア奏法試論を書き、ピアノ奏法の礎も築きました。著書の面では、レオポルト・モーツァルトバイオリン奏法試論クヴァンツフルート奏法試論など、楽器の演奏法も確立されていきました。

マンハイム楽派のオーケストラ音楽

オーケストラは、木管楽器群、金管楽器群、打楽器群、弦楽器群という4つの楽器群で構成されます。そのうち木管楽器群が、フルート2本、オーボエ2本、クラリネット2本、ファゴット2本用い入られてものを2管編成と呼ばれます。

ハイドンがエステルハージ家の学長として活動する前にヨハン・シュターミッツを指導者とした優れたオーケストラがありました。

ヨハン・シュターミッツ

シュターミッツは、4楽章形式の交響曲の原型を作り、微妙な強弱をつけて演奏するマンハイム・クレッシェンドを開発して、オーケストラ音楽の機能を確立させていきました。←必ず暗記

交響曲はもともと歌劇に用いられいたシンフォニアから発達し、イタリア式序曲の急緩急の形式にトリオ付きのメヌエットを導入することで、4楽章のものとして定着していきました。

ハイドン モーツァルト ベートーベン

ハイドンが古典主義音楽の中心的な課題と言うべきソナタ形式を確立したのは、1781年に作曲した『ロシア弦楽四重奏曲』だと言われています。←必ず暗記

ソナタ形式というのは、第1主題と第2主題を提示し、それに基づく展開部を導入、最後に提示した2つの主題を再現するという形態で、古典主義音楽の特徴は、この形式の美しさだと言えます。←必ず暗記

ハイドンは、『告別』『驚愕』『軍隊』『時計』など104曲に登る交響曲、オラトリオの『天地創造』や『四季』など数え切れないほどのソナタ形式を用いた大作を残しています。

モーツァルトは、ハイドンが築いたソナタ形式に音楽的な情緒性を盛り込むことに成功しています。

モーツァルトの音楽の特色は、優雅な趣にどこか哀愁の影が秘められており、明るい音楽の中にも、ある種の翳りを感じさせられます。

また、啓蒙思想に影響を受け、個人の感情を音楽に反映させていきます。しかしこの音楽は、フランス革命後の市民社会における市民に好まれ、宮廷社会で作曲活動を行っていたモーツァルトは、晩年重い貧困に苦しむことになります。

フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』『魔笛』『コシファントゥッテ』を含むオペラ。『ジュピター』『パリ』など41曲の交響曲、『戴冠式』など27曲のピアノ協奏曲など多くの作品も残しています。

ベートーベンは、器楽の場合に、主題の設定と主題操作による展開技法(バリエーション形式)という点で、極めて卓越した技法性を見せており、生涯にわたってその形式を大切にしました。第5番、第9番の交響曲における循環的な動機の使用例とともに、楽曲全体に有機性をもたせました。

また、第6番の交響曲に見られる表題的要素を挿入し、人間的な感情を音楽に盛り込んだことも重要な業績です。

英雄』『運命』『田園』『合唱』を含む9つの交響曲。『悲愴』『月光』『ワルトシュタイン』『熱情』『ハンマークラビーア』を含む32曲のピアノソナタ。1曲のバイオリン協奏曲。など多くの器楽曲も残し、歌劇『フィデリオ』などの歌曲も残しています。

モーツァルト3大オペラ:フィガロの結婚』『ドン・ジョバンニ』『魔笛←必ず暗記

ベートーヴェン3大ピアノソナタ:悲愴』『月光熱情←必ず暗記

3大バイオリン協奏曲:ベートーベン ブラームス チャイコフスキー ←必ず暗記

試験対策(例題と模範解答)

以下の用語について記述せよ

前古典主義18世紀前半ごろの、古典派の幕開けに先立ってバッロク時代から古典派へを過渡的な時期があり、その頃の音楽を前古典主義という。ヨハン・シュターミッツを中心に展開されたマンハイム楽派やカール・フィリップ・エマヌエル・バッハを中心に展開されたベルリン楽派がソナタの形式や管弦楽法を整え、古典派音楽への原動力となっていった。
啓蒙思想古典派時代は、1789年に起こったフランス革命によって、それまでの王族・貴族を中心とした絶対主義体制がゆるぎ、人間の考え方に大きな変化が生まれた。科学の発達や思想の変化に従って、絶対主義に疑問を持ち始め、人々の心のよりどころは、神や神への信仰から人間の理性へと変化した。これを啓蒙思想と言う。この社会体制により、作曲家も王族や貴族から自立していくようになり、個人の精神性をコンセプトに作曲をするようになっていく。
ブフォン論争1752年にパリで、ペルゴレージ作曲の『奥様になった女中』がイタリア歌劇団によって上演されたが、この歌劇の市民性が当時宮廷オペラに反発していた人々に歓迎され、ブフォン論争が展開された。当時フランスでは新しい音楽を築いていくことに行き詰り、フランス語は言葉として歌劇に不向きである問題が生じた。これを解決しのがグルックで、歌手の技巧を誇示することにこだわっていた劇音楽を、台本の言葉にふさわしい音楽をつけていくことを考え、序曲を歌劇全体と結びつけるような音楽に作曲し、レチタティーボとアリアの差を無くして全体を劇の進行をさせるようにオペラに変化させた。
ベルリン楽派プロイセン王国の首都ベルリンを中心に活躍した音楽家達の総称。カール・フィリップ・エマヌエル・バッハを中心に展開された。エマヌエル・バッハは、2部構成のソナタから展開部を独立され、3部構成のソナタを確立させた。また、フリードリヒ王大に捧げられた古楽器による器楽合奏を数多く作曲した。この音楽を、ムジカ・レセルヴィータと言う。
マンハイム楽派ハイドンがエステールハージ家の学長として活動する前に、ヨハン・シュターミッツを指導者とした優れたオーケストラがあった。シュターミッツは、4楽章形式の交響曲の原型を作り、微妙な強弱変化をつけて演奏するマンハイムク・レッシェンドを確立し、オーケストラの機能性を作り上げた。交響曲は、もともと歌劇の序曲に用いられたシンフォニアから発展し、イタリア式序曲の急緩急の形式に、トリオ付きのメヌエットを導入することで、4楽章のものとして定着していった。

モーツァルトについて

モーツァルトが活動していた頃、ハプスブルグ家はオーストリアを拠点に、ボヘミア、ハンガリー、ナポリなどを勢力下に治めていた。その領域内は、宗教や言語などは不統一であったが、ハプスブルグ家はその各民族の自立性を認め、その結果国際社会が形成された。そのため、モーツァルトの音楽も民族性を有しない国際的な音楽で、この様式をウィーン古典派というしかし、モーツァルトは啓蒙思想の影響を受け、ハイドンから受け継いだソナタ形式に個人の感情を音楽に反映させていく。しかしこの音楽は、フランス革命後の市民社会における市民に好まれ、宮廷社会で作曲活動を行っていたモーツァルトは、晩年重い貧困に苦しむことになる。

ベートーヴェンについて

ベートーベンの作品の特徴は、主題の設定と主題操作による展開技法(バリエーション形式)という点で、極めて卓越した技法性を生涯にわたって見せていること、また、第6番の交響曲に見られる表題的要素を挿入し、人間的な感情を音楽に盛り込んだことである。作曲家としてデビューした頃の初期段階では、ハイドンやモーツァルトから受け継いだソナタ形式に忠実に作曲を行うが、第一、第二交響曲に見られるように提示部の前に序奏を入れるなど、独自の展開を見せている。中期に入ると、動機の展開や変容を徹底し、コーダを入れるなどソナタ形式の拡大に成功している。第五交響曲では、動機を様々な形に展開、変容など徹底した形式の充実や、第3楽章ではメヌエットではなくスケルツォの導入も中期の特徴と言える。また、第6交響曲に見られるような表題的要素の確立も重要な業績であろう。後期は、変奏曲やフーガなど対位旋律に力を入れている。大フーガや第九交響曲の第2楽章でその形が見られる。第九交響曲では、第2楽章でスケルツォ、第3楽章で緩徐楽章という本来の交響曲形式の入れ替えも見られ、古典交響曲の発展に大きく貢献した。

コメント

  1. 匿名 より:

    勉強になります。

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